このサイトはプチトマトの中身を見ることができるサイトです。所有するプチトマトのデータを表示しています。ただ、わいせつ物の掲示にならないよう性的な画像にはマスクをかけています。また、入手したデータは電子データとして入手した物なので、冊子の全てのデータを見ることはできません。
「プチトマト」は児童ポルノには該当しないと考えています。詳しくは児童ポルノ法ページをご覧ください。プチトマトが児童ポルノに該当すると思われる方は閲覧をお控えくだい。
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昭和57年(1982年)10月創刊のKK.ダイナミックベストセラーズ発行の清岡純子女史が撮影した少女ヌード写真集。月刊誌ではなかったのですが、ほぼ毎月発売されていました。海外の少女も含めたくさんの少女のヌードが掲載されました。ロリコンブームの全盛期の中、大変注目も浴び、ブームを作り出したとも言えるような存在でした。
一方で、児童ポルノが問題となったときに、その象徴として42号が摘発されその後の発行が中止されました。
昭和62年1月31目読売新聞朝刊に次のような記事が載りました。「・・・「プチトマト」の最新号に、多数のわいせつなシーンが掲載されていることがわかり、警視庁保安一課は、発行元の出版社をわいせつ図画販売容疑で家宅捜査するとともに、編集関係者からの事情聴取を始めた。同誌は正規の取次店を経て一般書店に並ぶ「公刊出版物」で、約二万部が発行されたため、警視庁は、警察庁を通して全国の道府県警に店頭からの回収を求める異例の指示を出した。・・・」
しかし、元々、清岡純子女史が少女ヌードを撮影した理由は、少女のセクシーさやエロティックを目的としているのではなく、少女の魅力を示す方法としてヌードを撮影するということでした。「少女の持つ、大人にはない清純さと恥じらいの表情を撮りたいと思っています。」と言う発言があります。
大正10年(1921年)6月22日、旧子爵家の三女として京都に生まれる。新日本新聞社、キネマ画報社、新歌舞伎座などの写真部を経て、昭和40年上京。フリーとなる。多くのドキュメント写真を手がけ、昭和46年、西ドイツ・シュテルン主催「世界写真展」で受賞したのをはじめとして、多くの国内国際写真賞を受賞。昭和52年、写真集『聖少女』を出版し、以後少女ヌードの一人者としての地位を不動のものとする。また、小説家としても多くの仕事があり、『日蓮女優』では日本作家クラブ賞を受賞している。写真集に、『尼寺』(毎日新聞社)、『門跡尼寺秘蔵人形』(駸々堂出版)、『聖少女』『野菊のような少女』『犬と少女』『舞・少女』『潮風の少女』(フジアート出版)、『白薔薇園』パート1〜5(大塚カラー現像所出版部)、『舞う少女』『少女の詩』(ダイナミックセラーズ)があり、小説に、『昭栄尼抄』『日蓮女優』『愛奴のしたたり』(日本文華社)、『妖花輪舞』(東京スポーツ新聞社)などがある。